●第二十四回 西鶴研究会(2007/3/29、青山学院大学・総合研究ビル10階会議室)
染谷智幸氏より、研究会のご案内です。
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第二十四回 西鶴研究会のご案内
●出欠のご連絡をメールにて3月5日までにお送りください。
●午後六時からの食事会への参加・不参加もご連絡をお願いします。
●昨今、ジャンクメールが多くなっております。メールの件名に「西鶴研究会」とお入れくださると助かります。
someya @ icc.ac.jp (@の前後の空白を詰めてお使い下さい)
染谷智幸宛
【日時】三月二十九日(木) 午後二時より
【場所】青山学院大学 総合研究ビル 10階会議室
【内容】研究発表ならびに質疑
発表題目および要旨
●『本朝二十不孝』論 ――「今の世」の不孝譚―
大阪大学博士後期課程二年 浜田泰彦
近年、有働裕氏は井原西鶴『本朝二十不孝』(貞享三・一六八六年十一月刊)の長大な研究史を纏められた(「『本朝二十不孝』研究ノート(一)、(二)、(三)」)。氏が戦前より最近の研究動向まで通覧されたように、本作は西鶴諸作品のなかでも、とりわけ長期間にわたって間断なく多くの論考が備わっている浮世草子作品であるといえる。
かく様々な立場からの研究論文を大別するのは譏りを免れぬところであるが、作品総体のテーマについての論点は主に(一)「孝にすゝむる一助ならんかし」の序文に始る本作品における西鶴の執筆態度を文字通り受け取るか、あるいは「慰み草」(谷脇理史氏「『本朝二十不孝』の教訓の意味―作者の姿勢と読者の問題―」『雅俗』一九九八年一月)として享受出来るか、(二)本作の執筆方法を『二十四孝』や藤井懶斎『本朝孝子伝』(貞享元年刊)等の先行作・同時代作品内容の逆用乃至順用によるものと(佐竹昭宏氏)考える、の二点に絞られるものと思われる。無論、この二点は単純に分離出来ず、殊に(二)の論点から(一)の執筆態度に至る考察は欠かせない経路である。
発表者は(一)について、『二十不孝』の表題通り「不孝譚」として読めると考える。(二)とも関連するが、西鶴が本作品で描出した不孝者の行為それ自体は『論語』「里仁篇」で禁じた「父母在、子不遠遊」であり(巻一ノ四の塩屋某の息子、巻ニノ三の鍛治屋藤助等)、また『孟子』「離婁章句下」の「世俗所謂不孝者五」にも根拠を求め得る(巻五ノ二で酒を好んで呑む墨屋団兵衛、巻五ノ三で相撲に夢中になる丸亀や才兵衛等)古典的・オーソドックスな類型に還元しうる。とはいえ、先行説話集・仮名草子における孝・不孝譚と本作での描き方は大きく相違する。
本発表ではこのように先行研究の立場に対して、本作品の文学史上における位置づけや、執筆方法をめぐって考察を加え、新たな提案を試みることを目指したい。
●『本朝桜陰比事』の「はなし」の意味 ―研究史と作品の問題点―
福岡女子大学 大久保順子
『本朝桜陰比事』(元禄二年刊)は「『棠陰比事』を踏まえた命名」による「『板倉政要』を意識した作品」「推理小説風の裁判小説集」と位置づけられており、「中国種」的典拠探索やトリックの筋を整理する先行研究には、近代以降の研究者の抱く“「推理小説」的小説観”の影響も窺われる。しかし、本作品はなぜ研究史上「西鶴の説話物」では「異色」とされるのか、そしてそれは「異色」なのか。本発表では幾つかの問題点を指摘しつつ、例として「比事物」作品における話構成や評語の方法等を視野に入れながら、『本朝桜陰比事』の裁判話が発生させる「意味」の質的特徴についての小考を試みたい。
●合評、森田雅也著『西鶴浮世草子の展開』(和泉書院)
ここ数年、合評と称して、会員が上梓した論文集を取り上げております。主旨は、紙数等の制約が多い学会誌・新聞の書評欄では言及しにくい様々な問題を取り上げて、著者の提示した問題点を多角的に検討してみることにあります。
今回は2006年4月に上梓された森田氏の論文集を取り上げます。はじめに、森田氏に20分ほど補足説明をお願いし、その後自由討論に入ります。
会員諸氏には、事前に該書の問題点抽出および整理などをお願いします。
司会●前回研究会の発表者を予定しています。
問い合わせ先●染谷智幸まで
(染谷記)






























































































































































