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楊 暁捷氏「劇画・絵師草紙 Comic: A Painter's Story」を公開
玉川大学リベラルアーツ学部リベラルアーツ学科教員(助教または准教授)の公募【日本学関係(Japanology, Japan Pop Culture, Modern Japanese History, East Asia History などのうち、いずれかを英語により担当】(2016年09月20日 必着)
東北芸術工科大学・教授又は准教授の公募(編集分野)(2016年08月26日 ~ 2016年10月11日 必着)
文部科学省、科学研究費助成事業の審査システム改革(中間まとめ)を公表(科学技術情報プラットフォーム)
日本比較文学会 関西支部・9月例会、小橋玲治(大阪大学)「明治期日本におけるgoverness表象」ほか(2016年9月17日(土) 午後2時半~5時半、関西大学千里山キャンパス 第一学舎一号館)
国立大学の教授はさらに"研究貧乏"に。6割が年間50万円未満 減少傾向続く。「これほど少額とは衝撃的」(日刊工業新聞)
東京国立博物館・特集「藤原行成の書 その流行と伝称」(2016年8月23日(火)~10月2日(日))
Breaking boundaries between literature and medicine○ボグダン真理愛[愛媛大学(院)]―福田安典『医学書のなかの「文学」』(笠間書院)英文紹介文公開
中醫經典被「另類改編」成娛樂刊物!?○陳 羿秀[お茶の水女子大学(院)]―福田安典『医学書のなかの「文学」』(笠間書院)中文紹介文公開
文芸評論家の川西政明さん死去(共同通信)
2016年度甲南女子大学公開講座&クリスマスチャリティーコンサート「宮沢賢治生誕120周年記念ーもうひとつの宮沢賢治ー」(2016年12月8日(木)〜第4回 ※要申込)
人文科学とコンピュータシンポジウム 「じんもんこん2016」(2016年12月9日(金)〜11日(日)、国文学研究資料館・国立国語研究所)
明治大学和泉キャンパス図書館内ギャラリー「演劇人、詩人、文学者としての唐十郎展」(2016年9月30日(金)~10月10日(月))
第56回研究例会「〈3・11〉後の表現を考える―演劇・サブカルチャー・文学・ドラマ―」(2016年9月17日(土)、立教大学池袋キャンパス 本館2階 1202教室)
学際シンポジウム「近代日本の日記文化と自己表象―人々はいかに書き、書かされ、書き遺してきたか―」(2016年9月17日(土)、18日(日)、明治学院大学白金校舎、本館10階大会議室)
AAS-in-Asia 2016 京都大会ラウンドテーブル「The Digital Resource Landscape for Japanese Studies」報告○江上敏哲(国際日本文化研究センター)【2016.6.25・於同志社大学】
関根賞第十一回(通算二十三回)に、鳥井千佳子氏『忠通家歌合新注』(新注和歌文学叢書 二〇一五年一〇月 青簡舎)
週刊読書人(2016.8.19)に藤井貞和『構造主義のかなたへ 『源氏物語』追跡』の書評が掲載されました(評・小嶋菜温子氏)
図書新聞(2016.8.27)に、林 廣親『戯曲を読む術(すべ) 戯曲・演劇史論』の書評が掲載されました(評者:鴨川都美氏)
コトノハカフェ・第3回「難しい医療・看護・介護の言葉をやさしく」【遠藤織枝さん(日本語研究者)】(2016年9月17日(土) 14:00〜16:30、バルト(東京・阿佐ヶ谷)、1000円(飲み物つき))
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最新の記事

2016年8月28日

 この記事のカテゴリーは : ホームページ紹介です。

●楊 暁捷氏「劇画・絵師草紙 Comic: A Painter's Story」を公開

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詳細は以下より。「劇画・絵師草紙 Comic: A Painter's Story」。

http://people.ucalgary.ca/~xyang/eshi/eshi.html

【「絵師草紙」は間違いなく中世絵巻の代表作の一つである。絵師自身の悲喜こもごもの運命というユニークなテーマもさることながら、誇張していて的確な群像、予想を裏切る物語の展開、そしてあまりにも注目されていない絵師の矜持ある告白、どれを取り上げてみても貴重なものである。
 ここに、あらためて物語に親しんでもらうために、「動く四コマ漫画」の体裁を編み出して同絵巻を表現してみた。画像はあくまでも原作から切り取ることに止まり、文字は原作の詞書を抜き出して超訳を試みた。いわば古典作品に対する現代語訳にならぬ、絵巻に対する「まんが訳」である。
 用いる絵巻の底本には、あえて国会図書館蔵の模写を選んだ。中世の絵巻を見慣れた視線にも新鮮感があって、よりコミカルで漫画っぽい。】

2016年8月27日

 この記事のカテゴリーは : 研究者のための公募情報です。

●玉川大学リベラルアーツ学部リベラルアーツ学科教員(助教または准教授)の公募【日本学関係(Japanology, Japan Pop Culture, Modern Japanese History, East Asia History などのうち、いずれかを英語により担当】(2016年09月20日 必着)

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●詳細はこちらから(JREC-IN)
https://jrecin.jst.go.jp/seek/SeekJorDetail?fn=3&id=D116080823&ln_jor=0

 この記事のカテゴリーは : 研究者のための公募情報です。

●東北芸術工科大学・教授又は准教授の公募(編集分野)(2016年08月26日 ~ 2016年10月11日 必着)

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●詳細はこちらから(JREC-IN)
https://jrecin.jst.go.jp/seek/SeekJorDetail?fn=3&id=D116081087&ln_jor=0

2016年8月26日

 この記事のカテゴリーは : ホームページ紹介です。

●文部科学省、科学研究費助成事業の審査システム改革(中間まとめ)を公表(科学技術情報プラットフォーム)

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【科学省はこのたび、科学研究費助成事業の審査システム改革について(中間まとめ、pdf:74ページ)を公表した。

「科研費審査システム改革2018」については、今後、平成 30 年度の助成(平成29年9月に公募予定)からの新システムへの移行に向けて、本案に対する各界の意見を踏まえて審議を深め、本年中に最終的なとりまとめを行うことを目指す。】
つづきはこちらから。科学技術情報プラットフォーム。
http://jipsti.jst.go.jp/johokanri/sti_updates/?id=8918

 この記事のカテゴリーは : 学会・講演会・展覧会情報です。

●日本比較文学会 関西支部・9月例会、小橋玲治(大阪大学)「明治期日本におけるgoverness表象」ほか(2016年9月17日(土) 午後2時半~5時半、関西大学千里山キャンパス 第一学舎一号館)

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研究会情報です。

●公式サイトはこちら
http://hikakukansaishibu.blogspot.jp/2016/08/blog-post.html

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日 時:2016年9月17日(土) 午後2時半~5時半
会 場:関西大学千里山キャンパス 第一学舎一号館 4階 実験実習・語学系教室1

【研究発表】

講 師:小橋玲治(大阪大学)
題 目:明治期日本におけるgoverness表象

司 会:廣野由美子(京都大学)

【読書会】

書 籍:稲賀繁美『接触造形論』(名古屋大学出版会、2016)

発題者:南明日香(相模女子大学)

〔内容紹介〕
 感覚と藝術、その臨界へ------。「触れる」ことで作品は紡がれ、「接触」によって思想や文化が「写り/移り」を遂げる。彫刻・陶藝などの立体作品から、建築や翻訳の領域まで、異質なるものが触れあう時に何が生まれるのか。「接触造形」の視点から近現代の藝術や文化を探究し、未踏の領野へと踏み出す。

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●国立大学の教授はさらに"研究貧乏"に。6割が年間50万円未満 減少傾向続く。「これほど少額とは衝撃的」(日刊工業新聞)

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【国立大学が国から受け取る運営費交付金など「基盤的経費」から、大学の研究者に配分する「個人研究費」が減少傾向にあることが文部科学省の調査で分かった。研究者の4割が「10年前より減った」、2割が「半減以下」と回答した。】
つづきはこちらから。日刊工業新聞。
http://newswitch.jp/p/5855

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●東京国立博物館・特集「藤原行成の書 その流行と伝称」(2016年8月23日(火)~10月2日(日))

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展覧会情報です。

●公式サイトはこちら
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1816

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参考※1089ブログ・藤原行成の書

藤原行成の書 その流行と伝称
本館 特別1室 2016年8月23日(火) ~ 2016年10月2日(日)

【藤原行成(ふじわらのこうぜい、972~1027)は平安時代中期の貴族で、能書(のうしょ)として知られ、小野道風、藤原佐理とともに「三跡」と称されています。中国から伝わった書をもとに発展した日本風の書である和様(わよう)の書は、行成の活躍した時期に完成しました。その後、鳥羽天皇(1103~56)の時代まで、みな行成に倣って書いていたと言われるほど、行成の書風は流行しました。また、行成の子孫は代々、宮廷の書役として活躍し、平安時代から鎌倉時代の和様の書の中心的役割を担っていました。後に世尊寺(せそんじ)流と呼ばれるその一系の書流の祖としても、行成は尊重されてきました。

今回の特集では、まず、藤原行成の真跡(しんせき/真筆(しんぴつ)、直筆(じきひつ))をご堪能いただきます。国宝「白氏詩巻(はくししかん)」には、行成の子孫である藤原定信(1088~1154~?)がこれを行成の書と鑑定した跋語(ばつご)があり、確実な、そして代表的な作品です。また、重要文化財「書状」(個人蔵)には、尊円親王(そんえんしんのう)が行成の書を褒め称える添状(そえじょう)が附属しており、行成の書が愛好されてきた歴史がうかがえます。

次に、行成の書風をよく真似ている作品をご覧いただきます。国宝「延喜式(えんぎしき)」は、平安時代に行成の書がいかに人気を博したかを物語るものです。そして、「升色紙(ますしきし)」などの古筆切(こひつぎれ)は、その流麗な仮名が「行成の書であってほしい」という望みをこめて行成筆と伝称されてきました。

藤原行成の書がどれほど流行し、尊重されてきたのかを、数々の作品からご紹介します。】

主な出品作品
*所蔵の表記の無いものは、当館蔵品です。
国宝 白氏詩巻 藤原行成筆 平安時代・寛仁2年(1018)
国宝 延喜式 巻三十六 平安時代・11世紀
重要文化財 書状 平安時代・寛仁4年(1020) 個人蔵
重要文化財 藤原師通願文 平安時代・寛治2年(1088) 個人蔵


図録

藤原行成の書 その流行と伝称
恵美千鶴子執筆

編集・発行:東京国立博物館
定価:600円(税込)
オールカラー24ページ (A4版)

※ 8月23日(火)より、ミュージアムショップにて販売。

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●Breaking boundaries between literature and medicine○ボグダン真理愛[愛媛大学(院)]―福田安典『医学書のなかの「文学」』(笠間書院)英文紹介文公開

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福田安典『医学書のなかの「文学」』(笠間書院)の、ボグダン真理愛氏による英文紹介文を公開いたします。

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福田安典『医学書のなかの「文学」 江戸の医学と文学が作り上げた世界』(笠間書院)
ISBN978-4-305-70804-5 C0095
A5判・並製・カバー装・280頁
定価:本体2,200円(税別)

○本書の詳細はこちらをご覧下さい。
http://shop.kasamashoin.jp/bd/isbn/9784305708045/

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Breaking boundaries between literature and medicine

ボグダン真理愛[愛媛大学(院)]


  When a person hears the expressions "medical books" or "books on herbal medicine" (『本草書』honzousho in Japanese), they often associate them with scholarly (and often dry) reports on research and findings in these sciences. Yasunori Fukuda, however, takes a fresh look at this "scientific literature" and opens our eyes to the fact that it is, in fact, literature.

  In the academic world, we often see a focus on differences between subjects, a focus that leads to the creation of multiple, highly specialized genres. A problem with this line of thinking is that when you concentrate on the differences, you tend to view genres in isolation―as though they have been developed completely independently of each other―and can often miss the important connections that exist between them. We need to realize that a genre is merely an artificial construct in a person's mind used in categorizing the outside world which we perceive.

  Once the foundation has been laid in which objects or concepts have been separated, given individual concrete definitions, and organized into systems, we also need to shift our focus more onto examining the connections and interactions between them. Finding new connections and offering ways to see the everyday world from a more holistic point of view can lead to us having a richer, deeper perspective of the universe.

  The shift to an interdisciplinary focus can be observed in recent changes in pedagogical approaches. For example, the new curriculum which Finland will put into effect in August of 2016 will depend heavily on a move toward phenomenon-based teaching, which is a move away from subjects and toward interdisciplinary topics. In Switzerland, another country renowned worldwide for its educational system, elementary school students, rather than being taught "subjects", are able to decide on a theme and learn whatever is related to that theme through a certain period of time.

  For instance, if they decide to learn about horses, they may read stories about horses, learn the history of the horse, look into their bone structure, or even calculate their average speed when they run. In this way, the learning process for such a project can, for example, draw upon Physical Education (by actually riding a horse) and Art (by drawing pictures of horses), among other disciplines. Even though this novel approach to education can be difficult to put into practice in an ideal way―considering what is involved in trying to balance the level of the things you teach and attempting to cover every field―it shows great potential in children's education and has been gathering attention from all around the world. It is becoming evident that more and more people are realizing the importance of looking into the connections and interactions between different genres and the value of building a holistic point of view.

  In recent years, interest in analyzing medical books, a genre which had been largely neglected in the past, has been on the rise. However, those who have worked with only "pure" literature in the past can find the prospect of dealing with medical texts quite daunting. This book by Professor Fukuda provides an easy-to-understand introduction for such readers.

  One can not consider research into or enjoyment of literary works written from around the early seventeenth century to the late nineteenth century complete without a look into the medical books written during that period. In order to understand those types of books, you need to be well-informed about medical books that are related to them. The authors and readers of these medical works viewed them not only as reference material for their medical practice, but also as literature to be enjoyed for its own sake.

  While such books were, of course, usually used as tools in the medical trade, they also began to be regarded as works of parody that could be enjoyed away from the job. In this way, we can see a process of evolution in which medical books came to be used in a way apart from their original purpose.

  Eventually, this type of literary pursuit started to spread among people who did not practice medicine, and many parodies of medical books began to emerge. This trend had the end result of producing many readers who did not actually practice medicine, but who held a knowledge of medical books. They would pick up medical books just to enjoy them for their "literary" value. The present book introduces us to examples of such works and shows where "medical" and "literary" can crossover with one another, making a distinction between them blurred.

  On p.102, we see a case in which a medical work takes on aspects of a literary work. It is a "fill-in-the-blank form" published in 1778 to aid in easily producing a medical chart/record for a patient, in which the doctor can fill in the pertinent data. Medical records based on such forms were quite common in the period.

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  The doctor can begin by including information one would typically expect, such as the name, age, and symptoms of the patient. It then goes on, however, to describe failed treatments by other doctors as "murder" and then suddenly stress the amazing success of the present treatment and how it surprises even the doctor himself and astonishes relatives. In this way, the medical record reads as if it comes from the scene from a highly dramatical play.

  In Dr. Fukuda's commentary, he suggests that such sensationalism was deemed necessary to add to the credibility and vividness of the record. Reading such records gives the reader a certain sense of enjoyment or entertainment, as if they were reading the script from a dramatized literary work.

  Now let us look at another example from the book (p. 30-31). Can you tell which of the two is the original medical book?

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  It is the one on the left. This was a medical book written by a skilled medical practitioner from the early Edo Period named Dousan Manase, a book which was in widespread use at the time. On the right, however, you see a literary work which imitates the original medical book in order to get people's attention. In this parody, a prescription to cure a "distortion of the mind" is written by merely making an analogy to the medical book. Doctors can cure optic and oral distortions, but not distortions of the mind. You can see in the lower part of the right-hand figure an itemized section which resembles a list of medicines, but which is actually a list of books of moral teachings and Dangibon books (literary works that contained both humor and teachings popular in the Edo Period). In this way the parody plays on the medical book, and it only worked effectively based on the presupposition of the fact that "Deviated eyes and mouth lead to optic and oral distortion" was widely known to people.

  Such medical texts stood not as specialized books, but were treated as "reading material". We need to throw out the preconceived notion of seeing literature and medical books as being completely separate entities with no common ground, and then we can realize the value in reading medical works published in the early modern era.

  This present work discusses books that require a knowledge and an understanding of the world of medicine and medical herbs especially for people who have not studied medicine in order for them to understand these "literary works".

  As the title of this book, "The 'Literature' You see in Medical Books", clearly suggests, we can find elements of what we would commonly consider to be "literature" contained in medical works.

  You could say that Yasunori Fukuda is opening a new window onto the study of literature.

  The book consists of the following sections:

Introduction
Chapter One: "Medical books"? or "Literature"?
Chapter Two: Chikusai; a Fictional Quack Doctor beloved by readers during the Edo Period
Conclusion: New Fields of Edo-Period Literature

  In the first chapter, the author begins with an analysis of a book titled "Isha Dangi (Lectures for Doctors)", a work which can not be easily categorized as a medical book or a literary work, but rather takes on both roles. He then goes on to provide an overview of other works which, at first glance, have the appearance of medical books, and then follows this with a discussion of medical records from the Edo Period.

  The second chapter centers upon a work called "Chikusai", which is considered to be a representative of kanazoshi, or "books written in kana" and has been called an exemplary novel from the modern period. It also discuss books that are in the same category as "Chikusai" and other relevant material from the viewpoint of the Manase "School" of medical science.

  The final section provides us with general observations and conclusions based on the analyses and discussions of the earlier sections.
  Even the reader who wants to look into medical books from solely literary point of view will still need some basic medical knowledge. With this book, Yasunori Fukuda has provided us with entertaining and insightful perspectives on how to create a foundation which will allow us to enjoy this intriguing area of literature.

 この記事のカテゴリーは : 新刊案内です。

●中醫經典被「另類改編」成娛樂刊物!?○陳 羿秀[お茶の水女子大学(院)]―福田安典『医学書のなかの「文学」』(笠間書院)中文紹介文公開

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福田安典『医学書のなかの「文学」』(笠間書院)の、陳 羿秀氏による中文紹介文を公開いたします。

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福田安典『医学書のなかの「文学」 江戸の医学と文学が作り上げた世界』(笠間書院)
ISBN978-4-305-70804-5 C0095
A5判・並製・カバー装・280頁
定価:本体2,200円(税別)

○本書の詳細はこちらをご覧下さい。
http://shop.kasamashoin.jp/bd/isbn/9784305708045/

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中醫經典被「另類改編」成娛樂刊物!?

陳 羿秀[お茶の水女子大学(院)]

 在日本江戶時代(十七世紀初至十九世紀後半)出現了一些需具有醫學(指以中醫理論為基礎的日本漢方醫術)知識及須精通相關醫學著作方能理解的文學作品。而從事這類著作的作者抑或其讀者,具有醫學背景,平時可能一面運用醫書從事醫業,一面卻將這些嚴肅的醫學專書改寫成通俗文學作品,或成為其讀者。因此,醫學專書既是他們賴以為生的工具;亦是其自娛自樂的一種方式。

 然而,隨著時代的推進,從事醫學著作改編的作者漸漸的已不侷限為醫師,一些非醫師本業者也加入改編醫書以娛樂大眾的行列,使原本枯燥乏味的醫學經典,經由作者巧妙的改寫後,搖身成為通俗的大眾文學,使作者與讀者層面擴大,即使非醫學專家的讀者也能藉由閱讀這些作品而間接獲得醫學相關知識。但對他們而言,閱讀這些讀物的初衷並不是為了獲得醫學知識,而只是單純為了打發時間並娛樂自己而已。

現代人潛意識裡認為醫學與文學是各屬不同的領域,但於江戶時代,醫學與文學確實是無法分類的。而藉由這些具有娛樂性質,但卻也需有醫學或本草知識才可理解的醫學改編文學,印證醫學與文學是可相容的,且經由改編者的巧思將其發揮得淋漓盡致。透過這些漢方「醫學」經典改編成的詼諧「文學」作品,闡明醫學與文學間的關係,是本書作者福田安典教授特別想深入探討的。

 於江戶時代的確存在不少需要醫學知識才能理解的文學作品,例如在江戶中期,有一本在日本京都出版以妓院為題材名為《本草妓要》寶曆年間(1751─1764)的庶民文學,《本草妓要》的書名是參照《本草備要》而命名,即使是序的部份也依據《本草備要》的和刻本(於日本刻版複製且漢字旁附有日文讀法之中國書籍)的「序」逐字改寫成符合妓院情境的內容。而內文中的插圖〈妓類附圖〉(圖1)則仿照李時珍的《本草綱目》中之〈木部香木類附圖〉(圖2),將原本為植物圖鑑的內容, 詼諧改編成各類層級妓女的使用器具示意圖。提及《本草綱目》,江戶時代中後期出現許多看中《本草綱目》的知名度,而模仿《本草綱目》的書名,藉以吸引當代讀者的注目,進而換取銷售量的文學作品。譬如明和5年(1768年)出版的《加古川本草綱目》,其書名即是融合《本草綱目》與當代知名的淨瑠璃劇本《假名手本忠臣藏》中的出場人物「加古川本藏」,本書除了書名及故事最初介紹本草學歷史的部分參考《本草綱目》「歷代諸家本草」之外,其餘的內容與《本草綱目》皆無關係;而文政2年(1819年)出版的《本草盲目集》是本娛樂取向刊物,其書名雖取自《本草綱目》之諧音,但內容與《本草綱目》毫無相關,若將《本草盲目集》(圖3)與《本草綱目》(圖4)的封面擺在一起,應可更清楚看出兩書性質之差異。


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《本草妓要》(圖1)
「太夫,天神,白人,藝子為關西地區妓女之階級名稱」

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《本草綱目》(圖2)

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《本草盲目集》(圖3)

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《本草綱目》(圖4)

 《本草妓要》與上述作品相對照,其不僅是書名參照醫學著作,文章主體內容也依照當時日本京都著名的漢方醫師香川修庵的兩本著作《一本堂藥選》和《一本堂行余醫言》來作巧妙的通俗化。例如:
 
凡藥之美惡真偽故,醫人之所當識辨,藥不真美病不可癒。《一本堂藥選・凡例》
凡妓之美惡真偽故,嫖客之所當識辨,妓不真美茍不可買。《本草妓要》

 以上兩則對照可顯示出經過改編後,能將一本原來生澀的醫學專書轉換成會心一笑的刊物。因此,若想要了解《本草妓要》究竟如何被<另類>改編,必須要先精通《本草綱目》及修庵的《一本堂藥選》《一本堂行余醫言》,以它們作為基石,才能完全理解本書的詼諧之處;但遺憾的是《一本堂行余醫言》的刊本至今尚未齊全,當時此書的流傳僅靠其子弟間的抄寫本,一般大眾無法窺其全貌,可見《本草妓要》的作者及讀者必然是精通修庵著作的人,例如都賀庭鐘這位修庵的得意門生,他擅於寫雅俗共賞的作品,就極有可能是此書的作者或讀者。本書屬當代典型的醫書改編著作,這類的作品可能當時在同好之間私下流傳,而其作者或讀者就如同都賀庭鐘一般,一邊從事醫業,一邊於閒暇時將醫書改編成妓院文學用以抒發壓力。

 修庵是提倡儒醫一體的古方派(江戶中期興起的漢方醫學門派,批判宋代以後的醫學著作,提倡重現宋以前的醫學療法)大家,但因其個性擇善固執,而易引發當代文人對他的嘲諷,如平賀源內在他的《放屁論》等著作中對他嘲弄和批判;但也有敬佩他的人,比如曾私淑修庵的江戶後期漢方醫師橘南溪,就曾在其隨筆《北窗瑣談》裡提到修庵年少時因太忙於醫治病人,而不曾在行醫時中途如廁的軼事,諸如此類的逸聞,傳為美談,可見其行醫之認真態度。而其弟子中自然有景仰這位老師者也有嘲弄的,對他的弟子而言,平時奉老師的著作為金科玉律,當一旦脫下醫袍化為文人騷客時,老師的著作即刻轉變成他們調侃改編的對象。

 《本草妓要》一書出乎意料的受到當時讀者們的熱烈歡迎,而不斷的再版,其讀者群也擴展至修庵的弟子以外的一般民眾,而這本書的讀者大多是不精通醫學的門外漢,他們有可能會發現這本書與修庵的著作有相關,進而在閒暇時將修庵的著作找出來閱讀嗎?還是只有醫生才能看穿本書與修庵著作的關連呢?若真為了將《本草妓要》「融會貫通」,而特地去翻閱如《一本堂藥選》等專業醫書的讀者存在的話,那麼,我們是否可說修庵的著作不僅只是醫學專書,並具有近似文學讀物般的存在意義呢?從《本草妓要》書中所舉的例子可知於江戶時代醫書與文學作品的界線比現代人想像中更為模糊。

以下再舉一例,各位是否可分辨出A與B何者為醫學作品,又何者為文學作品呢?

A太陽病,項背強几几,無汗惡風,葛根湯主之。
B知是太陽病,脈浮頭項強,藥方何所主,仲景葛根湯。

 A是醫學書《傷寒論・弁太陽病脈證并治》裡的醫學理論,而B為文學作品《茶果子初編》裡的五言絕句,這首詩在文句上很難說它有改變成詼諧的詩文意味,只是將《傷寒論》的文章改寫成韻文以利於當代人背誦;它的重點並不在於其文學價值,而在於它不僅是作者自得其樂的小品文,且因獲出版商青睞,將其印刷成為民間廣為流傳的讀物。由此觀之,醫學經典也因改寫成為大眾文學而使讀者群擴大。

 江戶中期的醫師兼文人勝部青魚曾於《剪燈隨筆》中提到,當時的思想界流行伊藤仁齋等人的古學派(否定宋明理學,強調回到孔孟時代的復古運動),而此派之風氣傳至醫學,更甚至影響國學(盛行於十七十八世紀的日本,專門研究考據日本古代文學與神道),以致萬葉集和歌的研究因而盛行。換言之,當代確實有文人認為儒學的古學派影響擴及到醫學的古方派甚而再傳至國學的研究,可見醫學融合文學,它們之間的相關性在那個時代是有其脈絡可尋的。綜觀前所述,現代人總認為醫學與文學是不相關的領域,但這樣的分類法卻無法完全掌握江戶文化之全貌。期盼各位讀者能透過本著作,對江戶時代的醫學與文學之間的關係有全新的認識。

 この記事のカテゴリーは : 訃報です。

●文芸評論家の川西政明さん死去(共同通信)

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謹んで哀悼の意を表します。

【「武田泰淳伝」など文学者の評伝や作家論を数多く手掛けた文芸評論家の川西政明(かわにし・まさあき)さんが26日、急性心筋梗塞のため死去した。75歳。大阪市出身。】
つづきはこちらから。共同通信。
http://this.kiji.is/141736057601032196

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●2016年度甲南女子大学公開講座&クリスマスチャリティーコンサート「宮沢賢治生誕120周年記念ーもうひとつの宮沢賢治ー」(2016年12月8日(木)〜第4回 ※要申込)

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講座&コンサート情報です。

●公式サイトはこちら
http://www.konan-wu.ac.jp/news/detail.php?id=1898

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2016年度 甲南女子大学 公開講座&クリスマスチャリティーコンサート
〈東日本大震災復興支援〜神戸から音楽のエールを!Vol.9〜〉「宮沢賢治生誕120周年記念ーもうひとつの宮沢賢治ー」の参加者を募集しております。
生誕120周年を迎えた宮沢賢治は、現代に至っても国語教科書の定番であり続け、多くの人々に親しまれています。今年の公開講座は、教科書とは少し違った視点で眺めることによって、もうひとつの賢治を追求し、新しい賢治像を生み出すことを目指します。
参加ご希望の方は、以下の開催概要をご覧いただきお申込みください。みなさまのご来場をお待ちしております。

■ 講座内容
回 開催日・時間 テーマ 講師・出演

第1回 12月8日(木)14時〜16時
宮沢賢治の愛と性
信時哲郎(本学日本語日本文化学科教授)
宮沢賢治は37歳の生涯を独身で過ごしました。しかし岩手の山々、岩石、植物、星や月を愛し、また、古今東西の文学や絵画、音楽を愛した賢治が人間を愛することがなかったわけはありません。賢治は愛について、性についてどう考えていたのでしょうか。第1回ではこのことにスポットを当ててみたいと思います。

第2回 12月15日(木)14時〜16時
宮沢賢治と鉄道 信時哲郎(本学日本語日本文化学科教授)
東北本線が賢治のふるさと・岩手県花巻を走るようになったのは明治23年。賢治が生まれるよりも前でした。しかし、岩手県下に鉄道網が広がるのは大正時代。つまり賢治の青春時代と一致しています。第2回では、岩手県の鉄道の歴史と賢治について考えてみたいと思います。

第3回 12月23日(祝)13時〜16時45分
宮沢賢治と音楽 〜宮沢賢治学会地方セミナーin神戸〜 浜垣誠司(精神科医)、
佐藤泰平(立教女学院短期大学名誉教授)、林晶彦(ピアニスト・作曲家)
第3回は、宮沢賢治と音楽についての講演です。「宮沢賢治の歌曲をめぐって」(浜垣誠司・精神科医)、「宮沢賢治の音楽『賢治がゴーシュに託した夢』」(佐藤泰平・立教女学院短期大学名誉教授)。また、林晶彦(ピアニスト・作曲家)によるピアノ演奏。パイプオルガンの演奏も予定しています。なお、第3回は宮沢賢治学会イーハトーブセンターと神戸賢治の会の主催による「宮沢賢治学会地方セミナーin神戸」を兼ねます。

第4回 12月24日(土)14時30分〜16時
賢治の愛した音楽―オーケストラとパイプオルガン― 〜クリスマスチャリティーコンサート〜 芦屋交響楽団、土橋薫(オルガニスト・本学メディア表現学科非常勤講師)、信時哲郎(本学日本語日本文化学科教授)、
本学合唱同好会、甲南女子中高コーラス部
第4回は、賢治の愛した音楽と題して、賢治が作曲した曲、また、愛した曲を選んだコンサートを企画しました。主な曲目は、応援歌、星めぐりのうた(宮沢賢治)、トッカータとフーガ・ニ短調(バッハ)、交響曲第5番「運命」第1楽章、交響曲第6番「田園」第1楽章(ベートーヴェン)、交響曲第9番「新世界より」第2楽章(ドヴォルザーク)、トロイメライ(シューマン)、讃美歌「いづれのときかは」、「主よ御許に近づかん」。演奏は芦屋交響楽団、土橋薫(パイプオルガン)、本学合唱同好会、甲南女子中高コーラス部。なお、第4回は「クリスマスチャリティーコンサート」を兼ねます。
※第4回当日のみ、ご来場の皆様より募金を募らせていただきます。募金は全額、あしなが育英会「あしなが東日本大震災遺児支援募金」へ寄付させていただきます。

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●人文科学とコンピュータシンポジウム 「じんもんこん2016」(2016年12月9日(金)〜11日(日)、国文学研究資料館・国立国語研究所)

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研究会情報です。

●公式サイトはこちら
http://jinmoncom.jp/sympo2016/index.html

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開催概要
日程 2016年12月9日(金)〜11日(日)
9日(金) 招待講演・アイデアソン(参加無料)
10日(土)・11日(日) 口頭発表・ポスター発表
会場 国文学研究資料館 ・ 国立国語研究所 (東京都立川市)
主催 情報処理学会 (IPSJ) 人文科学とコンピュータ研究会 (SIG-CH)
共催 国文学研究資料館 ・ 国立国語研究所
後援 アート・ドキュメンテーション学会
記録管理学会
情報知識学会
情報メディア学会
全国歴史資料保存利用機関連絡協議会
電子情報通信学会
日本計算機統計学会
日本行動計量学会
日本デジタル・ヒューマニティーズ学会
日本統計学会
日本図書館情報学会

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●明治大学和泉キャンパス図書館内ギャラリー「演劇人、詩人、文学者としての唐十郎展」(2016年9月30日(金)~10月10日(月))

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展示情報です。

●公式サイトはこちら
http://www.meiji.ac.jp/bungaku/info/2016/6t5h7p00000lx4bf.html

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2016年9月30日(金)~10月10日(月)
 和泉キャンパス図書館内ギャラリーにおいて唐十郎企画展「演劇人、詩人、文学者としての唐十郎展」を実施します。
 あなたの知らない世界の扉を開いてみませんか?
 連動企画も盛り沢山

チラシ「演劇人、詩人、文学者としての唐十郎展」
   唐十郎展連動企画

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●第56回研究例会「〈3・11〉後の表現を考える―演劇・サブカルチャー・文学・ドラマ―」(2016年9月17日(土)、立教大学池袋キャンパス 本館2階 1202教室)

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研究会情報です。

●公式サイトはこちら
http://www.rikkyo.ac.jp/research/laboratory/IJS/index.html

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第56回研究例会「〈3・11〉後の表現を考える―演劇・サブカルチャー・文学・ドラマ―」

日時 2016年9月17日(土)14:00~16:50(開場13:30)
会場 立教大学池袋キャンパス 本館2階 1202教室
内容 2011年3月11日に起こった東日本大震災から5年が過ぎ、今もなお被災地には、グラデーションを帯びたように多彩な被災状況がある。あの日から、あらゆる表現(活動/者)は、震災という事態を前に「何ができるのか」を問う声が多く聞かれ、様々な作品が発表され、議論が行なわれてきた。本企画では、「5年」という時間を視野に入れながら、「何ができるのか」ではなく、「何を表現したのか」「何が表現されたのか」に焦点を当て、複数のジャンルからの〈3・11〉に対する視角について考えてみたい。
講師 松本 和也(神奈川大学外国語学部准教授、日本学研究所特任研究員)
住友 直子(立教大学学校・社会教育講座教育研究コーディネーター、日本学研究所研究員)
山田 夏樹(法政大学文学部助教、日本学研究所特任研究員)
後藤 隆基(立教大学社会学部教育研究コーディネーター、日本学研究所研究員)
金子 明雄(立教大学文学部教授、日本学研究所所員)
プログラム 13:30    開場
14:00-14:10 開会挨拶 金子 明雄
14:10-14:45 「〈3・11〉と劇団四季―『ユタと不思議な仲間たち』の東北巡演を視座として―」後藤 隆基
14:45-15:20 「〈3・11〉とサブカルチャー表象」山田 夏樹
15:20-15:30 休憩
15:30-16:05 「埴谷雄高「死霊」を読み直す―〈3・11〉以後のなかで―」住友 直子
16:05-16:40 「坂元裕二ドラマにおける〈3・11〉―『最高の離婚』・『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』を中心に―」松本 和也
16:40-16:50 閉会挨拶 金子 明雄

2016年8月25日

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●学際シンポジウム「近代日本の日記文化と自己表象―人々はいかに書き、書かされ、書き遺してきたか―」(2016年9月17日(土)、18日(日)、明治学院大学白金校舎、本館10階大会議室)

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研究会情報です。


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学際シンポジウム
近代日本の日記文化と自己表象
―人々はいかに書き、書かされ、書き遺してきたか―

2016年9月17日(土)、18日(日)
明治学院大学白金校舎、本館10階大会議室

アクセス
http://www.meijigakuin.ac.jp/access/
キャンパス案内
http://www.meijigakuin.ac.jp/campus/shirokane/

★同時開催「戦中戦後の日記いろいろ」展 「女性の日記から学ぶ会」協力

□9月17日(土)□

午前の部 10:00-12:05

総論1 日記という「行為」(田中祐介、明治学院大学助教)

セッション1:教育装置としての日記、規範化の力学における自己表象
「教育手段としての日記の定着―明治期少年の『日誌』にみる指導と規範」(柿本真代、仁愛大学講師)
「農民日記をつづるということ―近代農村における日記行為の表象をめぐって」(河内聡子、東北大学助教)
「まなざしの往還―生徒から教師への跳躍としての教育実習日誌」(堤ひろゆき、上武大学助教)

午後の部 13:05-18:30

セッション2:文学的テクストとしての日記
「堀辰雄における王朝日記の受容」(川勝麻里、明海大学ほか非常勤講師)
「日記は権力を乗り越えうるか―北條民雄と検閲」(大野ロベルト、日本社会事業大学助教)
「性をめぐる教化・窃視・告白―ジュニア向け文庫の〈非行少女の日記〉を中心に」(康潤伊、早稲田大学大学院博士後期課程)

セッション3:外地における日記、自己表象とアイデンティティ形成
「境界をまたぐ身体―戦前満洲の学生日記にみる中国人青年の学校生活と都市経験」(高媛、駒澤大学准教授)
「ふたつの言語、ひとつの日記―植民地台湾において日記を綴ること」(大岡響子、東京大学大学院博士後期課程、国際基督教大学アジア文化研究所準研究員)

セッション4:「近代日本の日記文化」を浮き彫りにし、相対化するために
「近現代タイの日記文化」(西田昌之、チェンマイ大学専任講師)
「日記研究の日欧比較の一視座―心理療法学を学んだ経験から」(宮田奈々、オーストリア科学アカデミー近現代史研究所客員研究員)
「前近代の日記の"発生"について―比較文化史の視点から」(松薗斉、愛知学院大学教授)

特別対談「個人の記録を社会の遺産に」(島利栄子、「女性の日記から学ぶ会」代表)
聞き手:田中祐介

□9月18日(日)□

午前の部 10:00-12:00

総論2 日記という「遺産」(田中祐介、明治学院大学助教)

セッション5:教養共同体における読書と日記
「読書文化の桎梏と日記―役人の教養と鬱屈」(新藤雄介、福島大学准教授)
「多声響く〈内面の日記〉―第二高等学校『忠愛寮日誌』にみる戦時下キリスト教主義学生の煩悶吐露と炎上的論争」(田中祐介、明治学院大学助教)
「学徒兵の読書日記―学徒兵遺稿集と阿川弘之『雲の墓標』をめぐって」(中野綾子、早稲田大学非常勤講師、日本学術振興会特別研究員PD)

午後の部 13:00-17:40

セッション6:歴史資料としての可能性
「歴史資料としての病床日誌―陸軍病院における事例を中心に」(中村江里、一橋大学特任講師)
「銃後日記から「国民意識」をみるということ」(梅藤夕美子、京都大学大学院博士後期課程)

セッション7:〈女学生〉の文体獲得と書記行為
「少年少女雑誌にみる作文と文体」(嵯峨景子、明治学院大学非常勤講師)
「奈良女子高等師範学校生の詠み書きと「自己」表象―大正大典奉祝歌と校友会誌掲載歌をめぐって」(磯部敦、奈良女子大学准教授)
「〈女学生〉の書記行為を再考する―白河高等補習女学校生徒の日記帳と佐野高等実践女学校校友会誌から」(徳山倫子、京都大学大学院博士後期課程、日本学術振興会特別研究員DC2)

総合討論

■参加費無料、どなたでもご参加頂けます
■事前申し込みは不要ですが、配付資料の準備の都合上、ご参加の旨をご一報頂けると助かります:nikkiken.modernjapan[アットマーク]gmail.com(代表:田中祐介)

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●AAS-in-Asia 2016 京都大会ラウンドテーブル「The Digital Resource Landscape for Japanese Studies」報告○江上敏哲(国際日本文化研究センター)【2016.6.25・於同志社大学】

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しばらく実験的に、各学会大会等で開催されたシンポジウムのレポートを掲載していきます。
ここに掲載されたテキストは、小社PR誌『リポート笠間』の最新号に再掲載いたします。

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AAS-in-Asia 2016 京都大会 
ラウンドテーブル
「The Digital Resource Landscape for Japanese Studies」報告

○江上敏哲(国際日本文化研究センター)


日にち 二〇一六年六月二十五日(土)
[スピーカー]
福島幸宏(京都府立図書館)
バゼル山本登紀子(ハワイ大学マノア校図書館)
イーデン・コーキル(元・ジャパンタイムズ社)
マクヴェイ山田久仁子(ハーバード・イェンチン図書館)
是住久美子(京都府立図書館)
[コーディネータ]
江上敏哲(国際日本文化研究センター)


 日本資料について、デジタル化が急務である、と言う。情報発信が肝要である、と言う。では、その成就に必要なものは何か。技術か、制度か、あるいは資金的基盤だろうか。

 本稿は、筆者がコーディネートした、AAS-in-Asia 2016 京都大会(会場:同志社大学)にて行われたラウンドテーブルのひとつ「The Digital Resource Landscape for Japanese Studies」(二〇一六年六月二十五日)の報告である。

 AAS(Association of Asian Studies)とは、アジア地域を研究対象とする北米の学会であり、毎年三月頃に北米で年次大会を開くほか、二〇一四年からはアジアの各都市でAAS-in-Asiaと称する大会を開催している。
 今回の二〇一六年京都大会は同志社大学を会場に、北米・ヨーロッパや日本、アジア各地から約一、二〇〇人が参加し、四日間で二〇〇件以上の分科会が設けられた。日本・中国などの東アジア、南アジア、東南アジアなどのアジア各地域を対象に、人文・社会系その他のさまざまな分野の研究発表とディスカッションがおこなわれた。

 この学会の参加者の多くは研究発表を目的とした研究者・大学院生であったが、当ラウンドテーブルでは北米の日本研究ライブラリアンや日本のライブラリアン、アーキビスト、情報専門家等をスピーカーとしてコーディネートした。日本の文化資源・学術資料とそのデジタルアーカイブ構築、オープンデータの活用をテーマとして、研究発表というよりはむしろ実務を行う立場からの発表と意見交換の場をつくるという試みであった。
 各スピーカーとその発表内容は以下の通りである。


●「歴史資料とデジタル化」福島幸宏(京都府立図書館)
 東寺百合文書webを例に、歴史資料のデジタルアーカイブ化とその公開・活用を、日本社会における災害や地方消滅等の問題をふまえて論じたもの。
●「The Digital Resource Landscape for Japanese Studies: Spaces for Change and Growth Collaboration & Collective Solutions @ the University of Hawaii at Manoa Library」バゼル山本登紀子(ハワイ大学マノア校図書館)
 阪巻・宝玲コレクションのデジタルアーカイブ構築における、琉球大学附属図書館との国を越えた連携やプロジェクト遂行についての報告。
●「My journeys into the digital archive of The Japan Times」イーデン・コーキル(元・ジャパンタイムズ社)
 英字新聞「JapanTimes」のデジタルアーカイブについて、その機能と内容の紹介。
●「Today's Challenge: The New Digital Haystack」マクヴェイ山田久仁子(ハーバード・イェンチン図書館)
 ハーバード大学における日本資料のデジタル化とそのディスカバリー対応や、日本におけるデジタルアーカイブ資料の検索、IIIF等の新ツールについて。
●「ライブラリアンによるWikipedia Townへの支援、オープンデータの作成」是住久美子(京都府立図書館)
 自己学習活動グループ「ししょまろはん」によるWikipedia Town支援の実際や、オープンデータの作成・公開とその活用に関する報告。

※なお、各者のプレゼン資料および当日の様子を録画した動画を、下記のページにアップロードしているので、詳細はそちらを参照していただきたい。

サイト: egamiday_wiki
http://egamiday.sakura.ne.jp/wiki/「The_Digital_Resource_Landscape_for_Japanese_Studies」


 詳細は各プレゼン資料に譲り、ここでは当ラウンドテーブルのコーディネータであった筆者の視点から、このラウンドテーブルの狙いと日本資料のデジタル化が抱える課題について述べたい。

 日本資料のデジタル化が進まず不足がちであること、あってもその検索・発見やアクセスに難が多いことについては、内外から多く指摘されている(拙著『本棚の中のニッポン』(笠間書院、二〇一二年を参照)。デジタル環境の整備は、デジタルアーカイブにしろオープンデータにしろ、特に国を越えてアクセスしようとする者には必要不可欠である。昨今では海外への情報発信を促進させるという文脈から国内でもデジタルアーカイブの整備やポータルの構築、そのための制度・法律等が盛んに議論されている。しかし、一部少数の機関や提供者だけで取り組んだり、各分野・各業界がめいめいの都合だけで話を進めてみたりしたところで、問題が解決することも望ましいデジタル環境の整備が成就することもないだろう。異なる立場同士で議論を共有し連携し、加えて利用する立場のユーザや社会全体をも巻き込んで、互いに補完し合い刺激し合う必要がある。国・地域や分野・業種がどうあれ、研究者か実務家か、提供者か利用者かがどうあれ、そもそもみな同じ情報流通サイクルの上にある以上は無関係ではあり得ない。

 東寺百合文書webのように、どのようなユーザにどのように使われるかが提供の仕方や構築のあり方を左右し得る。阪巻・宝玲コレクションの例では、ハワイと琉球という異なる国・機関同士の連携により、コンテンツに価値がうまれ、課題解決の道が開けている。京都のオープンデータ実践例では、単にデータが公開されているというだけではなく、図書館員と地域住民やIT技術者とのコラボレーションにこそ意義がある。
 異なる地域、異なる立場、異なる職種の者同士が、互いに課題、知見、ニーズを共有し、意見を交換し、連携していくことができるような場の設計が、デジタル環境の整備と同様かそれ以上に重要なことではないか。本ラウンドテーブルはその試みの一端でもあった。

 当日会場には、アジア・欧米各地域の方々、また研究者、アーカイブ関係者、書店・出版関係者など様々な職種の方々、約四〇名にご参加いただいた。時間の管理が甘かったために、それだけの方々とのディスカッションの時間がほとんど取れなかったことが残念である。参加者の皆さまにこの場を借りてお詫び申しあげたい。

 反省点はあったものの、日本資料のデジタル化や情報発信に関する多様な視点からの話題を、様々なバックグラウンドを持つ方々に提供できたことは実に有意義であった。また個人的には、京都を代表するデジタルアーカイブとオープンデータの活動およびその中心的存在を国際会議の場へ届けることができたことを、喜びたい。魅力あるコンテンツを広く効果的に受け手に届けるという意味では、デジタルアーカイブやオープンデータだけでなくこのようなラウンドテーブルの開催にも可能性がある、という思いを新たにした。今後、本ラウンドテーブルの姿勢・視点を引き継いだ第二回、第三回の企画を何らかの場で持つことができれば、と考えている。

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●関根賞第十一回(通算二十三回)に、鳥井千佳子氏『忠通家歌合新注』(新注和歌文学叢書 二〇一五年一〇月 青簡舎)

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詳細は以下より。関根賞運営委員会。贈呈式は九月二十四日に行われる予定、とのことです。
http://spc.hujibakama.com

鳥井千佳子氏『忠通家歌合新注』
http://honto.jp/netstore/pd-book_27533503.html

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●週刊読書人(2016.8.19)に藤井貞和『構造主義のかなたへ 『源氏物語』追跡』の書評が掲載されました(評・小嶋菜温子氏)

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週刊読書人(2016.8.19)に藤井貞和『構造主義のかなたへ 『源氏物語』追跡』の書評が掲載されました(評・小嶋菜温子氏)

●藤井貞和『構造主義のかなたへ 『源氏物語』追跡』(笠間書院)
http://kasamashoin.jp/2016/06/post_3688.html

 この記事のカテゴリーは : 書評・パブリシティ情報です。

●図書新聞(2016.8.27)に、林 廣親『戯曲を読む術(すべ) 戯曲・演劇史論』の書評が掲載されました(評者:鴨川都美氏)

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図書新聞(2016.8.27)に、林 廣親『戯曲を読む術(すべ) 戯曲・演劇史論』の書評が掲載されました(評者:鴨川都美氏)

●林 廣親『戯曲を読む術(すべ) 戯曲・演劇史論』(笠間書院)
http://kasamashoin.jp/2016/03/post_3567.html

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●コトノハカフェ・第3回「難しい医療・看護・介護の言葉をやさしく」【遠藤織枝さん(日本語研究者)】(2016年9月17日(土) 14:00〜16:30、バルト(東京・阿佐ヶ谷)、1000円(飲み物つき))

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イベント情報です。

●公式サイトはこちら
http://moji.gr.jp/kotonoha/themes/003/

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第3回「難しい医療・看護・介護の言葉をやさしく」

開催概要
日時 2016年9月17日(土) 14:00〜16:30(開場13:30)
会場 バルト(東京・阿佐ヶ谷)
ゲスト 遠藤織枝さん(日本語研究者)
参加費 1000円(飲み物つき)
定員 30 名

【私たちは一生を通じて医療や看護を受け,家族や自身の介護を経験します。しかし,そこでは褥瘡(じょくそう),糜爛(びらん),嘔気(おうき),臥位(がい),円背(えんぱい),誤嚥(ごえん),レスパイトケア,トランスファー,アサーティブといった難しすぎる用語が使われています。
難しいのは専門用語だから仕方がないのでしょうか。二つの問題があるように思われます。
一つは,患者やその家族自身に,病気・怪我やその治療について理解することが求められる時代において,言葉がその妨げになることです。
もう一つは人材育成を困難にすることです。看護師や介護福祉士は深刻な不足が懸念されており,外国人も含めた多様な人びとの中から養成することが求められています。
しかし,2008年に始まった経済連携協定による外国人看護師・介護福祉士人材育成事業では言葉の壁の大きさが浮き彫りになりました(看護師国家試験は合格者ゼロでスタート)。
今回は,日本語教育の専門家として,介護の現場,教科書,国家試験で使われる日本語を調査・研究し,やさしく分かりやすい言葉への言い換えを提案する本を出された遠藤織枝さんをゲストにお迎えし,どのような言葉の問題があるのか,どのように解決できるのかについて伺います。
また,医療・看護・介護の言葉についての皆さんの体験やご意見もお聞かせください。】

遠藤織枝(えんどうおりえ)
1938年生まれ。日本語教育・社会言語学専攻。長年留学生の日本語教育に携わってきたが,日本政府が各国と提携したEPA(経済連携協定)に基づいて2008年にインドネシアからの看護師・介護福祉士候補者を迎えてから,突然介護の日本語教育に飛び込むことになった。付け焼刃で介護の日本語を研究する過程で,その用語のわかりにくさ・難しさに直面した。このまま外国人介護従事者に教えることの矛盾を感じ,その平易化を考えるようになっている。介護のことばの平易化を主張した著書に,『やさしく言いかえよう 介護のことば』共著,三省堂(2015)がある。